すぐれた詩人は予言者である。
彼は透徹した目と論理を越える感覚によって、
社会全体の流れを読みとる。
社会が求めている未来像を先んじて描き、
これを未だ自覚なき人々に示す。
彼の言葉がそのまま受け入れられることもないではないが、
たいていの場合、待っているのは無視と冷笑である。
それでも詩人は、
詩人であることから逃げることはできない。
彼はいやおうなく言葉を発するのだ。
ケルアックはひとつの体系的な持ち主ではない。
体系化が可能になるのはもっと先の話しだ。
彼はなかばインスピレーションによって、
十年先、二十年先のアメリカが必要とする格を、
ひとつまたひとつと見つけていった。
そういう思索のための詩は最もすぐれた道具である。
詩は最も個人的であり、
未整理のものをそのまま記述する術にたけている。
小説に仕上げようとすると曖昧なものの多くを切り捨てなくてはならない。
詩はすべての思想をその萌芽のままに言葉に定着することができる。
それを用いてひとつのヴィジョンを求めることを、
ある意味では詩人は社会から要請されている。
そこにあきらかに要請があるにもかかわらず、
時として社会は詩人が提出したレポートを拒否する。
真の詩人はいつでも早すぎるのだ。
詩人という存在が、
うっすらと悲劇の色を帯びる理由がここにある。
考えてみれば、
1950年代のアメリカで禅。
ブッディズムの用語をちりばめた詩が、
一般の人々に広く受け入れられるはずはなかった。
ただ普遍なる精神に目覚めよ。
すべてを受け入れよ。
すべてを見よ。
それらはからっぽ。
そう受け入れよ。
真実を!
このようなものの考え方は、
存在と非存在をはっきり区別している。
前者のみの世界観を基礎に、
社会を築いてきたアメリカにはまったくなかった。
この世界の別の地域にはそういう思想が存在するということを想像する。
そんな余裕さえ彼らにはなかったのではないか?
ケルアックは確かに先駆者であった。
これほどアメリカから遠いものを身につける一方で、
ケルアックは最もアメリカ的なライフ・スタイルで生きた。
彼は徹底したアメリカ人であり、
それが彼の力だった。
例えば、彼は実に良く移動した。
アメリカというのは良くも悪くも、
人が動くことで作られた国である。
彼らは何よりも移動の手段を生きることの中心に据える。
幌馬車と鉄道。
自動車と民間航空がアメリカを作った。
今のアメリカに見られるあのモビール・ハウスの群れは、
その伝統がなお脈々と残っていることを示す。
動きつつ暮らすことはアメリカ人にとって、
最も自然な姿勢なのかもしれない。
ケルアックは当時のアメリカにあって、
最も変化の可能性に満ちた部分を受け入れた。
最も固定されて体制的な部分を捨てた。
移動の印象は、
彼の詩のすべてに満ち満ちている。
彼の詩はいかにも路上で書かれ、
汽車の中で書かれ、
行く先々の安い宿の一室で書かれたことを想起させるリズムがある。
スピードにあふれている。
詩人が早いものだとすれば、
ケルアックは確かに早かった。
早すぎたのかもしれない。
しかし、アメリカは確かに彼を必要としていたし、
彼によってずいぶん変わりもしたのだ。
精神的至福を求める彷徨というテーマは、
カウンター・カルチャーの中に着実の継承されていった。
彼の後に続いたものを数え上げるのは容易である。
例えば、彼がいなければ『イージー・ライダー』や『明日に向かって撃て!』のようなニュー・シネマは生まれなかっただろう。
ウッド・ストックのあの興奮もなく、
ロック全体がまるで違ったものになっていただろう。
文学については言うまでもない。
『ライ麦畑でつかまえて』のホールデンには、
明らかに『路上』のディーンの面影がある。
カウンター・カルチャーを受け入れることで、
アメリカ文化は幅と奥行きを増した。
文明としての必須の条件であるところの多様性を獲得したのである。
そういう動き全体のところに、
ケルアックは一人で少し居心地悪げにぽつんと立っている。
御供
御供
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