静かな人間でそのまま押し通すことが逆に認められる。
そして、もの言わぬ人間が信用されることがよくある。
自分はパワーがあり過ぎて、
サービス精神旺盛でついおせっかいなまでやってしまう。
ユーモアのひとつとして軽口を言ってしまう。
言わなければいいものをつい。
つまりはまわりの人に誤解を招くのだ。
自分はおっちょこちょい。
本当の自分のあり方を表現するのが下手なんだ。
私は馬鹿だ。
いつも誤解される。
いつも誤解される。
利口なヤツはあまり無駄口をたたかない。
今は、自分でも強くそれを感じている。
相手もそれを感じているだろうか?
イヤ、まだ誤解しているに違いない。
深く付き合おうとしないのはそのためさ。
つい、みんなに気を使ってサービスしてしまう。
そして、それがアダになって帰って来る。
他人のためにやったことも裏目に出てしまう。
ただ、ポジティブにやっただけなのに。
もっと突き詰めて自分を考えてみるがいい。
もっと、厳しく自分を突き放してみよう。
でも、自分をつらぬけばみんなに喜ばれる人間になれるのかな?
自分自身にとって、一番の障害は自分自身なんだ。
新しい自分、少し角度を変えた自分になってみよう。
習慣とか役割とかはそう簡単に変えられるものではない。
今日から自分は違うんだと意識の中で決めてしまう。
今まで通りの行動をしても、
そうすれば今までのような軽薄な自分は見られなくなる。
矛盾かもしれないが、
今度はみんなが不思議に喜ぶ自分になれる。
人は自分を客観視しているようでいても、
実は誰でも自分が好きで大事にし過ぎるんだ。
一度、外から眺めてみよう。
自分が小さな人間として、
小さな存在こそ世界を覆うんだ。
ひとりの孤独を隠せる者なんていない。
才能なんてない方がいい。
才能なんて勝手にしやがれ。
才能よりも自分として純粋に生きるべきだ。
目を凝らして見れば、
それがあらゆる人間生活の無限のいろどりになっている。
自由感があるから、
またそれゆえに逆に自失していることも確かだ。
考えてみれば、
人生には世渡り上手と本当に生き抜く道がある。
かつて、社会はもっと厳然としていたし、
人生はもっと神秘であり不可解なものだった。
危険とスリルに満ち、
希望と不安のなかに揺れ動いていた。
人生はあたかもジャングルを押し分けて進む冒険のようだった。
大都会は気力の無いもののために、
ただ、座って運ばれて行く。
人生というものは、まことに単純で複雑だ。
不如意、希望、失意とファイト。
よく冒険という言葉を耳にするよね。
冒険は賭けである。
冒険を計画し、準備している時が最高だ。
着実に人生に賭けていただけなんだ。
生涯を通じて瞬間時間を「危険に賭ける」
それが、人間のあり方だ。
生き甲斐を持って生きる。
とざされた社会やモラルの中では大きな抵抗を受ける。
無目的の無償の行為は素晴らしい。
ただ、大人になるに従って、
多くの人がその無邪気さを失ってしまう。
人間は必ずしも成功することが喜びでも大事でもない。
たんたんとした道をすべて流されてしまわないで、
傷つき、血が噴き出る身体を引きずって生きる。
いいようのない重大さをともども経験し、かみしめること。
貧しいということは苦しいことかもしれない。
逆にその苦しいことが素晴らしい。
経済がどんなに成長しても、
逆に人間喪失の虚しさは言い返しがつかない。
世の中を上手くやろうと考えると、
結局、人の思惑に従い社会のベルト・コンベアーの上に乗せられてしまう。
激しく、望みつづけても世の中は変わらない。
世の中は変わらなくても自分は変わることができる。
私は絶対に変わらない。
社会に妥協などしない。
この命のある限り!
御供 2013/5/18
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