2010/04/02

おこない


静かな人間でそのまま押し通すことが逆に認められる。
そして、もの言わぬ人間が信用されることがよくある。
自分はパワーがあり過ぎて、
サービス精神旺盛でついおせっかいなまでやってしまう。
ユーモアのひとつとして軽口を言ってしまう。
言わなければいいものをつい。
つまりはまわりの人に誤解を招くのだ。
自分はおっちょこちょい。
本当の自分のあり方を表現するのが下手なんだ。
私は馬鹿だ。
いつも誤解される。
利口なヤツはあまり無駄口をたたかない。
今は、自分でも強くそれを感じている。
相手もそれを感じているだろうか?
イヤ、まだ誤解しているに違いない。
深く付き合おうとしないのはそのためさ。
つい、みんなに気を使ってサービスしてしまう。
そして、それがアダになって帰って来る。
他人のためにやったことも裏目に出てしまう。
ただ、ポジティブにやっただけなのに。
もっと突き詰めて自分を考えてみるがいい。
もっと、厳しく自分を突き放してみよう。
でも、自分をつらぬけばみんなに喜ばれる人間になれるのかな?
自分自身にとって、一番の障害は自分自身なんだ。
新しい自分、少し角度を変えた自分になってみよう。
習慣とか役割とかはそう簡単に変えられるものではない。
今日から自分は違うんだと意識の中で決めてしまう。
今まで通りの行動をしても、
そうすれば今までのような軽薄な自分は見られなくなる。
矛盾かもしれないが、
今度はみんなが不思議に喜ぶ自分になれる。
人は自分を客観視しているようでいても、
実は誰でも自分が好きで大事にし過ぎるんだ。
一度、外から眺めてみよう。
自分が小さな人間として、
小さな存在こそ世界を覆うんだ。
ひとりの孤独を隠せる者なんていない。
才能なんてない方がいい。
才能なんて勝手にしやがれ。
才能よりも自分として純粋に生きるべきだ。
目を凝らして見れば、
それがあらゆる人間生活の無限のいろどりになっている。
自由感があるから、
またそれゆえに逆に自失していることも確かだ。
考えてみれば、
人生には世渡り上手と本当に生き抜く道がある。
かつて、社会はもっと厳然としていたし、
人生はもっと神秘であり不可解なものだった。
危険とスリルに満ち、
希望と不安のなかに揺れ動いていた。
人生はあたかもジャングルを押し分けて進む冒険のようだった。
大都会は気力の無いもののために、
ただ、座って運ばれて行く。
人生というものは、まことに単純で複雑だ。
不如意、希望、失意とファイト。
よく冒険という言葉を耳にするよね。
冒険は賭けである。
冒険を計画し、準備している時が最高だ。
着実に人生に賭けていただけなんだ。
生涯を通じて瞬間時間を「危険に賭ける」
それが、人間のあり方だ。
生き甲斐を持って生きる。
とざされた社会やモラルの中では大きな抵抗を受ける。
無目的の無償の行為は素晴らしい。
ただ、大人になるに従って、
多くの人がその無邪気さを失ってしまう。
人間は必ずしも成功することが喜びでも大事でもない。
たんたんとした道をすべて流されてしまわないで、
傷つき、血が噴き出る身体を引きずって生きる。
いいようのない重大さをともども経験し、かみしめること。
貧しいということは苦しいことかもしれない。
逆にその苦しいことが素晴らしい。
経済がどんなに成長しても、
逆に人間喪失の虚しさは言い返しがつかない。
世の中を上手くやろうと考えると、
結局、人の思惑に従い社会のベルト・コンベアーの上に乗せられてしまう。
激しく、望みつづけても世の中は変わらない。
世の中は変わらなくても自分は変わることができる。
私は絶対に変わらない。
社会に妥協などしない。
この命のある限り!
   御供      2013/5/18

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