<コーラス85>
いいあてるのに本当にぴったりの言葉なんかあるわけないさ。
本当に必要。
そんなものは全部愚劣。
言いあてる言葉があるものなんてたいしたものじゃない。
いいあてられないものの方がいいものさ。
ともかくいくらでもあるというものなんて欲しくないのさ。
誰も持っていないもの、
これが欲しいのさ。
つまり、私のペンから書かれた詩だ。
一篇の詩があったら、
私は満足だ。
<コーラス90>
楽しんでいる私が幻なんだと、
いつもそう考えざるをえないのはどうしてなのか。
この道を何度も行ったり来たりしたけれど、
たいして好きな道じゃないってことさ。
本当に好きなことはそんなにざらにはないってことさ。
だから好きな道も毎日は歩かない。
同じ意味で毎日見る楽しみは幻さ。
つまり、死ぬ時に生への信仰という無駄なこと。
ため息の体に押し込めるのと同じ意味で知っていた。
望んだ救いを願う。
<コーラス111>
サンクリット語で至高にて完璧なる知恵を体得した時、
私は何も体得しなかった。
あらゆる偽りの概念を捨てることによって、
あの至高なる知恵の概念まで捨て去った。
内なるものをすべて捨て去り私は世界に向かった。
何も言わないまま人々は私に尋ねた。
私は何を考えているのか。
分からぬまま。
空白のエクスタシーに浸ってる。
<コーラス113>
起きた、着替えた。
出かけた。
どこへ行くのかさえわからずに行く。
でもすべては完璧、
からっぽだから。
からっぽゆえに完璧だ。
何も起こっていないから完璧。
どんなものも自分の中のからっぽに気づいていない。
そして、同じところに帰って来る。
到着点は出発点。
競争はなかった。
アラビアへの熱い意味の上を爪先立って歩いても、
越える予言者はいなかった。
ただそこへ行けないだけ。
御供
J・ケルアックは偉大な詩人だ。
私をここまで興奮させ、
ここまで引っぱり上げてくれた。
詩というものへの関心も高めてくれた。
J・ケルアックの詩にふれた時、
私の道は決まったようなものである。
私は私の道の上、
そして、、、、、
時間の先端を見つめて生きる。
御供 2005/2/18 11/11/28
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