2010/05/06

J・ケルァックについて


J・ケルアックについて6冊書いてきたわけだが、もう少し彼について書き加えておこう]
J・ケルアックは一度書き上げた作品を推敬し、手を加えたものを嫌がった。
『無作為的散文の必須条件』より。
できれば夢幻境に遊びながら、
『意識を働かせないで』書くが良い。
無意識がその禁を解かれ興味深く必然的な、
それ故『現代的な』言語によって。
意識的芸術の検問により、
削除されそうな事柄を語るに任せておくが良い。
そして興奮にまかせ素早く字を書いたり、
タイプライターを打ったりするような興奮にかかったような性的興奮の絶頂感。
ライヒの言う。
『意識の感乱』の法則に順じて書くが良い。
このようなケルアックの創作態度は、
詩についても同じで『サンフランシスコ・ブルース』
サンフランシスコの安宿で、
窓際に置いたロッキングチェアに腰を掛け、
通りのアル中や、娼婦、パトカーを眺めながら、
『無作為的に』書いたと言っている。
三年後の『メキシコ・シティ・ブルース』は同じように、
メキシコ・シティの彼のアパートの下に暮らしていた、
ビル・ガーウ゛アー[彼はビル・ケインズの名でウィリアム・バロウズのジャンキーに登場する]の部屋で書かれた。
ケルアックは毎日ノートとマリファナを持ってガーウ゛ァーの部屋へ降りていく。
当時、アヘンを常習していたガーウ゛ァーは、
パジャマを着て安楽椅子に座り、
何らわけのわからないことをつぶやいている。
ベットに腰掛けて聞くケルアックの頭の中で、
ガーウ゛ァーのしゃべった言葉は、
目の前の現実の光景。
そして、彼の思考や記憶に溶け込み、
混じり合って半場無意識的に、
オートマジック・ライティングに近い状態で詩が生まれ出されていったのだ。
242篇を3週間で書き上げたのであるから、
平均すれば一日十篇以上の割合で書き進んでいったことになる。
一篇の詩はだいたい20行から30行で長さは各篇あまり変わりはない。
これは書き続けたノートがそのままの形で印刷されたからだ。
しかし、各篇がコーラスと呼ばれていることにも注目したい。
この作品は表題が示すとおり、
ジャズのブルースをモデルにしていて、
ノートの一ページは楽譜の一ページと考えることもできる。
そして彼は彼の散文が文法にとらわれないように書く。
音楽的にも自由にコーラスの長さが何小節だとかいう、
作曲上の規則にとらわれずに制作している。
沈黙の[つまり半分白純の]ページがあったり、
コーラスからコーラスへまたがっている。
詩が続いたりするのはそのせいである。
同じ音の繰り返しや変奏流暢に流れるようのフレーズの組み合わせなど、
ジャズの演奏を思わせるところが多い。
『メキシコ・シティ・ブルース』の最後の何篇かは、
その年の春に亡くなったチャーリー・パーカーへ捧げられたオマージュと言ってよい。
ケルアックは偉大な宗教詩人でもあった。
ケルアックの家はフランス系カナダ人で、
元来カソリックの家系だ。
1954年〜1955年にかけて彼は仏教に凝っていた。
手に入る限りの本を読み、
座禅を組んだ。
共に未完だがフランス語から仏典を翻訳したり、
仏陀の伝記を書いたりしている。
『メキシコ・シティ・ブルース』では、
ガーウ゛ァーの夢、
彼自身の麻薬体験。
彼が4つの時に死別した兄ジュラールへの想いや、
幼年期時代の回想など扱われている題材は様々だ。
仏教のテーマがライト・モチーフのように底を流れているのは否めない。
また、『HOW TO MEDETATE
素晴らしい瞑想の体験を『天国』では、
よりカソリック的な天国のヴィジョンを描いている。
しかし、ケルアックにとって大切なのは、
教義ではなく体験だった。
ビートを至福へ[アティチュート]と理解したケルアックには、
人生の瞬間瞬間が芸術であると同時に宗教的体験であったに違いない。
アメリカの口語をジャズのリズムに捉えたケルアックの詩を日本語にするのは難がある。
「私の詩作にて」
どこも変わりはなかったよ。
J・ケルアックに聞いてくれ、
キミがいうように至福の毎日を送りたい。
そう思っていたけど今の都会じゃ難しい。
キミの詩に傾いて、
書いてはみたいけれど何も変わりはしなかった。
でも私に悔いはない。
ケルアック、私のために祈っておくれ。
キミがいつもやっていたような、
旅が私も好きさ。
優しくて広大な地球という丸い惑星を、
風に吹かれて旅をする。
すると少しは幸せが訪れるけど、
キミの脳のニルウ゛ァーナには行き着かない。
ケルアック教えてくれ、
天国なんてものがあるんだったら。
キミだって神様じゃない。
人間的な悪ふざけをあれこれやっていたじゃないか。
聖人になれない私たちには、
天国なんて存在しないのかな?
秘密の声に引かれて、
文字にするこの瞬間だけが私にとっては楽しい時間。
上から下へか、
東から西へか?
なにがあっても測れない価値などあるのだろうか。
今日もあてのない旅の途上で、
やさしさや思いやり、自由と真実。
そして愛する友を求めている。
私を、みんなを、ケルアックよ。
破滅から救っておくれ。
愛しているよ。
キミの詩の一節を抱いて寝る私へ。
  御供 2005/2/18

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