2010/04/12

都会の片隅で生きる



突然すべてのものが止まったかのように錯覚した。
でも私はそこにいた。
都会という人間の森の片隅にポツンといた。
私の存在が確認されたのは1956年のこと。
大寒の寒い1月21日のことである。
都市がサボテンのような重たい頭蓋骨を持ち上げる空の下、
私の心臓はあやふやな振動とともに生かされている。
それは違う。
そう小さくつぶやく。
歯車じゃない。
人間として生きているんだ。
ポケットいっぱいに詰め込んだやさしさや思いやりを手に入れて確認する。
探してもポケットなんてないことに気づく。
爽快にこの都会で生きるにはどんな社会の概念からも、
思想からも、
神からも逃げちゃいけない。
正面で受け止めて、
素直に従うことだ。
スモッグだらけの空いっぱいにモラルが書いてあるのを、
私はいつも読まない。
太陽の明るいリズムが聞こえる都会の片隅。
その明るさが次第に夕暮れに近づく頃、
聞いたことのないリズムが聞こえる
どこからともなく聞こえて来る。
やばい。
すべての母たちは子供を殺せないゆえの、
腹立たしさに泣いている。
死んだ父たちは超自然的な暗闇な高速道路の上で、
行き場を見失っている。
精魂尽き果てた姿からは過去の楽しさなどは微塵も感じとれない。
心打ちひしがれ、
絵のようにからっぽの頭は考える。
いろいろなことを考えるが考えることもできない。
宇宙からの受信の手が伸びてやすらぐか。
暴走に拍車をかけるか。
携帯電話がひっきりなしに鳴っている都会の片隅。
心の中を告げることもなくただ通信のみの音。
受信の音。
心には張り出し窓がついていて、
熟した女の体のつんとした甘い臭いがする。
いつも現実は見えない。
いつもリアルだけの中で私はもがいている。
落ちて来る空の鳥。
天使はカラスのように都会でやりたい放題。
この垂直な空虚から湧いてくる酩酊感。
地球のリズムがこだまする。
座り、立ち、横になる。
蹴れば蹴られるままに、
絶対の受け身の中で生きて行く。
回りつづけているのに気づく。
屈折した甘美な愛。
気のすすまぬ翼を持たない天使たちよ。
真の魂を見つけるためにさまよい歩くのか。
未知なることを知ろうとする。
夢中に遊び、
夢中になって旅をしている私。
そこじゃない。
そこじゃない。
きっともっと以前にあったはずさ。
雨に打たれても道の中央をゆっくりと歩く。
壊すものなど何もない。
ただ私は私がわからないだけなんだ。
猥褻な煙ただようその空の彼方から逃げることができるのか。
悪をはきだす巨大な都市の煙突。
さらけ出された脳みその中のニルウァーナ。
次第に興奮する手がぎこちなく動き、
ようやくこうやって書いている。
監獄と精神病院を行ったり来たりする都会という人間の森の人たち。
非常に中絶される。
人間の頭の中は止まってしまったのか。
食卓の上では静かに何もかもが腐っていくのがわかる。
見えないのは近くでそいつを殺している死。
宇宙体験のようなものなのかな。
自然の中に秘そんでいるアルカロイドのように幻想の中にあるのか。
とにかく一度目を覚まさなくてはいけない。
長い長い仮眠の途中でふと私は我にかえる。
私は私の道の上、
時間の先端を歩く。
そして、、、、、。
  御供  2004/1/16 13/6/15

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