[遅れてきたビートニクス]
御供秀彦 <ニュー・ワールド・ニュース・エディターズ>
「キミの歩く道は?聖なる道か、狂人の道か、虹の道か、群れた小さな魚のような道か、どんな道か?どんな道でもいい。どんな人間にも、どんなふうにか道はあるんだ!」
ジャック・ケルアックの『路上=オン・ザ・ロード』は、心優しい反逆者たちの一本の道を教えてくれた。再び文字の復活の時代が来た。人間が人間らしく生きるってどういうことなんだろう。それはおしきせの人生ではなく、楽しくフリークアウトして生きるだけなんだ。フリークアウトするってことは、社会から逃げることじゃなく、楽しく生きていくことだ。
病んだ文明の象徴大都会で、打ちひしがれた“生のヴィジョン”を回復すべく、自由と真実、ときめきと恍惚を求めて、人並みのモラルや価値観を振り捨てる。揺れ動く時代の中、自分が自分であることの意味を問いかけながら生きていく。この絶望と至福の時代を生きる。もし「何に向かって反抗しているんだ?」と聞かれたら、「今あるすべてにだよ」とクールにつぶやく。国家という絶対的なものに、絶対がなくなった時代に、生かされていることに気づくべきなんだ。権力の言葉をそのまま鵜呑みにするほど愚かじゃない。
自由という理想とはうらはらに、それは“沈黙と金”という態度を決め込んだ人々が大勢を占めるサイレント・マジョリティの時代。確かに経済指数は上昇し、モノは手に入ってくる。繁栄と物質文明がやってきて、一見きらびやかな表面が幸せだと考えがちだが、一枚めくればそこは冷酷で、抑圧的で、非人間的な、目に見えない大きな力が支配する管理社会に流されたように生きているだけにすぎないと気がつく。自分が自分の意志で生きているように見えるけど、実は誰かの回す地球儀に振り落とされまいとして必至に走らされているだけ。ただのハムスターじゃないだろうか?人間が人間らしく生きることは、自分が決めた自分の道を生きるこということ。人にそれぞれの道を歩くこと。道は誰にもあり、その道はひとりひとり違うものだ。『路上』はそれぞれきわめて個人的な次元からスタートしたものだったが、アメリカ社会の偽善を見破り共感するテレパシーでお互いを結びつける。それぞれの精神的荒野を思いっ切り駆けめぐったエグザエル群像精神の旅の記録。いま自分たちに何が失われているかをあざやかに照らし出した。これらビート・ジェネレーションの詩的オデッセイは文字の復活とともに、自分たちの行き場のない時代に投げかけられた新しい世代の夢の啓示として受け止められた。
「魂の大いなる故郷はどこまでも広がる道にある。天国ではない。その上ではない。自分を裸にし、あらゆるものと交換し、同じ旅をする人と共感し、心に目的地を抱かず、ゆっくり大地を踏みしめながら行くのだー果てしなく広がる道はどこまでも、、、」D・H・ローレンスのホイットマンについての研究から引用をJ・ケルアックは日記にしるしていたという。J・ケルアックが人々に伝えたのは、長く長く続いてきた魂の旅人たちの道だったのだ。
『路上』の中にこんな一説がある。「俺はよろよろと彼らの後を追いかけはじめた。これまでの人生でもずっとそうだったが、興味をそそる人間が現れると俺はすぐについていってしまあうのだ。そうだ、俺が魅かれるのはこういった狂った奴等だけなのだ。生きること、喋ること、救われることを熱狂し、すべてのものをいっぺんに手に入れようとし、一時たりとも飽きるということを知らず、わかりきったセリフなど絶対に口にしない連中。生きている瞬間、瞬間を燃やして、燃やすうちに花火の爆発し、まばゆくひろがる星々をちりばめられたクモの巣、その真っただ中で青い光ととともに冷笑する奴等。ああ!と人々の度肝を抜くような奴等だけなのだ」
ビート.ジェネレーションの特徴が、何よりも彼らの濃厚な人間関係にあるとすれば、ビートの歴史は、そのメンバーとなった人々が織りなした色濃い出会いの歴史といえる。1943年から1945年にかけて、イーディー・パーカー、ジューン・バルマーの住んでいたマンハッタンのアパートを舞台に、彼らビート・ドラマの創始者たちの出会い。恋に落ち、教え、学び、本を読み、ドラッグを体験し、きのこ雲に代わる世界のヴィジョンについて語り合いー彼らの後継者であるひとりのロックンロール詩人ボブ・ディランが歌ったようにー法律の外側で誠実に生きる道[愛と創造の道]を探したのだ。見かけや職業、年齢や性別は違っていても、ビートニクたちはひとつだけ共通なものがあった。それは自分たちが育ってきた環境、まわりの人たちの常識、社会概念、そういったものすべての外側に自分の立脚点を置こうとしたことだ。アウト!アウト!自分を縛りつけようとするモラルの外に、ルールの外に!自分だけの道を歩くこと。大いなる出会いを求めて旅に出ることを一生続けよう。
「心ある人々は知るべきなのだ。世界は一本の道だということを」———ウェルト・ホイットマンーーーーーーーー
「ぼくらはみんな旅に出た。アメリカを探す旅に」
————ポール・サイモンーーーーーーーーーーー
「ハイでいろ。動き続けるんだ。自分のすべてをくれてやれ」
————ニール・キャサディーーーーーーーーーーー
今の時代は物質文化に狂ってる。そして権力に押さえられた警察国家だ。すべての人が出生と同時にコンピューターにインプットされ、まやかしの自由というものにほんろうされる。抗議の声をあげると、その発言はマスコミでも大きく取り上げられる。頭を持ったニィー・エイジ・トラベラーズの意見が高まる中で何も変わりはしない。ということに早く気づいた若者たちは政治などに関心を寄せるより、旅に憧れる。旅の中で聖なるヴィジョン・クエストを見つけ出そうとするようになった。この21世紀の今、旅こそすべてのフラストレーションを解放してくれるものである。旅に3ヶ月以上出ないと、目の前が真っ暗になってしまうという社会である。でもそれに反抗するより、旅に出て「自分なりの愛と創造の世界を探す!」そう決めている者も少なくない。そうやって考えると東京はなんと楽しい都市だと気がつく。旅に出ていろいろなものを吸収して持ち帰り、東京という消費文明に置き換えて何かを創ってみる。すると次なる旅の糧となる。こういったことを実践しているのが、ニュー・エイジ・トラベラーズと言われる連中だ。すべてのことに関してちじこまっているより、東京をクッションにして言えば、こんな天国はない。ダメとされていることが旅の途上で自由にできるし、あらゆる人との出会いもそこにある。そして東京というマンモス消費社会に少しのモノを流通させれば、次の優雅な旅へとつなげることができる。この方程式に基づけば、人間が人間らしく生きることができる。自分のための道を歩くことができるのだ。
御供

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